事故直後から始まった捜索活動は困難を極めた。現場付近の川の流れは速く、遺体は下流のダムや、さらには伊勢湾にまで流れ着いた。最終的な死者・行方不明者は104人にのぼり、単独のバス事故としては日本最悪の惨事となった。この悲劇は単なる「天災」として片付けられるべきものではなかった。
後の裁判では、道路の構造上の欠陥や、危険が予見できたにもかかわらず通行規制を行わなかった国の管理責任が厳しく追及された。国側は「想定外の豪雨による不可抗力」と主張したが、最高裁判所は国の国家賠償責任を認める判決を下した。この判決は、その後の日本の道路管理や防災基準を大きく変える契機となったのである。