日航機墜落事故の経緯を整理すると、科学的根拠に基づいた事故原因の全体像が明確になります。1985年8月12日18時12分、羽田空港を離陸して大阪伊丹空港へ向かった日本航空123便(ボーイング747SR-100、機体記号JA8119)は、相模湾上空を上昇中の18時24分、突如として衝撃音とともに操縦不能に陥りました。油圧系統(全4系統の油圧パイプ)が破断し、操縦桿の制御を失いながらも、運航乗務員はエンジン出力の調整だけで約32分間にわたり飛行を継続しましたが、18時56分、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根へ墜落しました。
航空事故調査委員会が1987年に公表した事故調査報告書によると、事故の発端は墜落の7年前、1978年6月2日に同機が大阪伊丹空港で起こした「しりもち着陸事故」に遡ります。この際、機体後部の後部圧力隔壁が破損し、製造元である米ボーイング社から派遣された修理チームが修復作業を行いました。
しかし、この修理作業において重大なミスが発生していました。本来、強靭な接続強度を保つために2列のリベットで接合すべき補強板(スプライス・プレート)を2分割して挿入した結果、下側の一列のリベット列しか効いていない状態となっていたのです。この構造的欠陥により、規定強度の半分以下しか耐えられなくなった圧力隔壁は、その後の度重なる飛行による加圧・減圧サイクル(約1万2300回)によって金属疲労亀裂を進行させ、1985年8月12日の飛行中に一気に吹き飛びました。
噴出した客室内の高圧空気は垂直尾翼の内部を破壊し、尾翼の大部分と補助動力装置(APU)を吹き飛ばすと同時に、尾部に集中していた4系統すべての油圧配管を切断しました。これが、操縦不能に陥った物理的メカニズムの全容です。