血のメアリーの真実とは?メアリー1世の悲痛な生涯と弾圧の裏側を解剖

血のメアリーの真実とは?メアリー1世の悲痛な生涯と弾圧の裏側を解剖

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王位を継承したメアリーが直面した最大の焦燥は、「カトリックの正統な後継者」を産むことでした。自分が後継者を残さずに死ねば、王位はプロテスタントのエリザベスへ渡り、せっかく復帰させたイングランドのカトリック信仰が再び水泡に帰してしまうからです。

そこで1554年、メアリーは母の祖国であるスペインの皇太子フェリペ(後のフェリペ2世)と結婚します。メアリーは11歳年下のフェリペを熱烈に愛しましたが、フェリペ側にとってこの結婚は純然たる対フランス包囲網のための政略結婚に過ぎませんでした。英語を話そうとせず、冷淡な態度を取り続ける夫に対し、メアリーは必死に愛情を求め続けました。

この極限の精神的プレッシャーと焦燥が引き起こしたのが、歴史上名高い「二度にわたる偽妊娠」です。

結婚から間もなく、メアリーは月経の停止と腹部の膨らみ、つわりを自覚し、国中に懐妊が公式発表されました。王宮には産室が整えられ、お祝いの準備が進められましたが、出産予定日を過ぎても赤ん坊は生まれませんでした。やがて腹部の膨らみは引いていき、これが「想像妊娠(偽妊娠)」であったことが判明します。1557年にも同様の事態が繰り返され、国民の失望と嘲笑を買うこととなりました。

現代の医学的見地からは、この偽妊娠の原因は極度のストレスによるホルモン異常だけでなく、卵巣腫瘍や子宮がんを患っていたためではないかと推測されています。腹水や腫瘍による腹部の膨張が、妊娠の兆候と誤認された可能性が極めて高いのです。

1558年11月17日、夫フェリペに見捨てられ、国民の支持も失ったメアリー1世は、当時ロンドンで大流行していた悪性インフルエンザに感染し、セント・ジェームズ宮殿で孤独のうちに息を引き取りました。享年42。その死因は、重度の感染症と進行していた子宮または卵巣の悪性腫瘍の合併によるものと見られています。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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