瀬戸大橋は、単一の橋を指す名称ではありません。本州の岡山県倉敷市下津井から四国の香川県坂出市に至る海峡部9.4km、高架部を含めた総延長13.1kmに連続する6つの長大橋梁(下津井瀬戸大橋、櫃石島橋、岩黒島橋、与島橋、北備讃瀬戸大橋、南備讃瀬戸大橋)と、それらをつなぐ高架橋の総称です。吊橋、斜張橋、トラス橋という異なる形式の橋が連続する景観は、世界屈指の土木遺産として国際的にも高く評価されています。
この国家プロジェクトの原点となったのは、1955年(昭和30年)5月11日に発生した「紫雲丸事故」でした。宇高連絡船・紫雲丸が濃霧の中で第三宇高丸と衝突して沈没し、修学旅行中の小中学生100名を含む168名の尊い命が失われました。「二度とこのような悲劇を繰り返してはならない。海の上に安全な橋を架けてほしい」という四国・本州双方の住民による悲痛な叫びが、本州四国連絡橋計画を現実の建設計画へと押し上げる決定的な契機となったのです。
計画から幾多の地質調査と技術検証を経て、1978年(昭和53年)10月10日に下津井瀬戸大橋の起工式が挙行されました。工事は9年半の歳月と延べ数百万人を超える技術者・作業員の汗、そして総事業費約1兆1,330億円を投じ、1988年(昭和63年)4月10日に悲願の全面開通を迎えました。
激しい潮流が渦巻く海中に巨大なケーソン(基礎構造物)を沈下させ、1mm単位の精度で巨大な主塔を組み上げた当時の技術力は、デンマークとスウェーデンを跨ぐ「オーレスン橋」との姉妹橋提携など、世界各国の海上インフラ整備の規範となりました。現在の下層デッキには、将来の「四国新幹線」乗り入れを見越した複々線化(在来線2線+新幹線2線)のスペースが事前に確保されており、日本の長期的国土軸構想が細部にまで刻み込まれています。