希代の論客の原点を辿ると、昭和の熱狂を生んだ東国原英夫のたけし軍団時代に行き着きます。専修大学卒業後、ビートたけし氏に弟子入りし、「そのまんま東」の芸名でたけし軍団の筆頭格として過酷なリアクション芸や司会業で頭角を現しました。しかし、数々の不祥事や挫折を経験するなかで、自身の人生を根本から見つめ直す大きな転機が訪れます。
それが40代を迎えてからの大学受験でした。多忙な芸能活動の合間を縫って受験勉強に励み、2000年に早稲田大学第二文学部(思想宗教系専修)へ社会人入学を果たします。さらに卒業後は同大学政治経済学部政治学科へ再入学し、地方自治論や行政学を徹底的に修めました。この東国原英夫の早稲田大学での学び直し(リスキリング)こそが、単なる人気タレントから政策通の政治指導者へと脱皮する決定的な土台となったのです。
当時の指導教授や大学関係者は、「最前列でノートを取り、講義後に熱心に質問を投げかける姿は一般の学生以上に真摯だった」と振り返っています。自著や当時の手記においても「芸人としての限界を感じていた時期に、学問が自分を救ってくれた」と述懐しており、この知的探求が後の政治キャリアの強力なエンジンとなりました。