北川悠仁さんの母・敬子氏の人生は、昭和から平成、令和へと続く日本の社会変容とともに歩んだ、まさに波乱万丈の軌跡でした。単なる「有名ミュージシャンの母」という枠には到底収まらない、その強烈なリーダーシップと経歴を振り返ります。
1937(昭和12)年に大阪府で生まれた敬子氏は、戦時中の混乱期に福井県敦賀市へと疎開しました。幼少期に両親の離婚を経験するなど家庭環境に恵まれず、心の救いを求める中で、1948年、わずか11歳で新興宗教「解脱会(げだつかい)」に入信します。この原体験が、のちの宗教家としての骨格を形作ることになりました。
実母との確執を経て自立の道を模索した敬子氏は、20歳で夫となる北川和男氏と結婚。神奈川県横浜市磯子区岡村に居を構え、金属加工関連の会社を営む夫を支えながら、4人の子ども(悠仁さんは末っ子)を出産・育児しました。生活のために内職や家事に追われながらも、解脱会の熱心な信徒として活動を継続し、その並外れた弁舌とカリスマ性で瞬く間に周囲の信望を集めていきました。
その後、解脱会内部での路線対立や自己の霊的体験を契機に独立を決意。1999年に自らを教主とする宗教法人「かむながらのみち」を設立しました。「神仏を敬い、先祖に感謝し、心の清浄を取り戻す」という神仏習合の教えを掲げ、主婦層や悩みを抱える人々を中心に信徒を拡大していったのです。
さらに2004年には、経営難に陥っていた山梨県北杜市小淵沢の由緒ある古社「身曾岐神社(みそぎじんじゃ)」を法人として買収・傘下に収めました。歴史ある神道の場を復興させ、伝統的な能楽殿の整備などを行った手腕は、宗教界や実業の世界でも大きな驚きをもって受け止められました。