阿部野神社の歴史を語る上で欠かせないのが、南北朝時代(14世紀)に後醍醐天皇を支え、南朝のために全力を尽くした北畠親房(きたばたけ ちかふさ)公と、その長男である北畠顕家(きたばたけ あきいえ)公の存在です。明治15年(1882年)に創建され、旧社格では別格官幣社に列せられた同社は、まさにこの偉大なる父子の忠節と不屈の精神を今に伝える聖地です。
父・親房公は、後世の歴史観や国家観に多大な影響を与えた古典的名著『神皇正統記』を著した大政治家であり、当代随一の碩学として知られます。混迷を極める情勢下でも決してブレることのなかった高い見識から、現在では学問・政治・戦略・教養の向上を願う参拝者に崇敬されています。
一方、子の顕家公は、わずか十代で鎮守府大将軍に任じられ、陸奥国(東北)の武士団を率いて幾度も京都へ電撃的な遠征を敢行した軍事の天才でした。足利尊氏の軍勢を圧倒するなど赫々たる武勲を立てましたが、延元3年(1338年)の「阿倍野の戦い」において、21歳の若さでこの地で討ち死にを遂げました。美貌と知勇を兼ね備え、不利な戦況にあっても最後まで誇り高く戦い抜いた顕家公の姿は、現代に生きる私たちにも「逆境を跳ね返す強靭な意志と勝運」を授けてくれます。