阿伏兎観音の歴史は極めて古く、平安時代の寛和2年(986年)、花山法皇が航海の安全を祈願して十一面観音石仏を祀ったことに始まります。この海域は「阿伏兎の瀬戸」と呼ばれる潮流の激しい難所であり、多くの船人が海難事故を恐れた場所でした。
現在の断崖に懸造(かけづくり)で建つ見事な観音堂を建立したのは、戦国時代の名将・毛利輝元です。天正年間(1570年代)に輝元によって再建された堂宇は、荒波の侵食と風雨に耐えうる堅固な桃山建築の粋を集めており、昭和31年(1956年)には国指定重要文化財に指定されました。
その唯一無二の景観は江戸時代の絵師たちをも魅了し、浮世絵師の歌川広重が連作『六十余州名所図会』の中で「備後 阿武兎観音堂」として描き残しています。また、江戸末期に日本を訪れたドイツ人医師シーボルトもその景観の美しさを絶賛するなど、時代や国境を越えて人々を惹きつけてやまない文化的価値を有しています。