絶頂期を極めた彼らがなぜ1992年に解散を選んだのか。その裏には、外部の作家陣による作品提供から、メンバー自らが作詞・作曲を手掛ける本格派ポップ・ロックバンドへの変貌に伴う、音楽的クリエイティビティの摩擦が存在していた。グループ内でセルフプロデュースを推し進める制作陣とヴォーカル陣の目指す方向性に少しずつ歪みが生じ、やがてその溝は修復不能なまでに広がっていったとされる。
衝撃の事実としてファンの間で今なお議論されるのは、解散後のメンバー間の複雑な距離感だ。2004年にドラマーの徳永善也が早世した際にも取り沙汰された感情の交錯は、単なる不仲という一言では片付けられない。若くして頂点を極めた者同士の誇りと、音楽家としての譲れないエゴが激しくぶつかり合った結果であった。2026年の今日においても、個々の道で音楽を紡ぎ続ける姿こそが、あの熱苦しい時代を真剣に生き抜いたリアルな証だ。