アメリカ独立宣言はいつ採択?7月4日と署名日の真相を徹底解説

アメリカ独立宣言はいつ採択?7月4日と署名日の真相を徹底解説

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アメリカ独立宣言が発表されるに至った背景には、長年にわたる13植民地と大英帝国(本国)との根深い対立が存在します。植民地の人々は当初から独立を望んでいたわけではなく、自らを「自由なイギリス国民」と自認していました。それにもかかわらず、なぜ最終的な決別を選ばざるを得なかったのでしょうか。

引き金となったのは、1756年から1763年にかけて戦われたフレンチ・インディアン戦争(ヨーロッパにおける七年戦争の北米戦線)です。イギリス本国はこの戦争で勝利を収めたものの、莫大な財政赤字を抱え込みました。財政難に苦しむ本国議会は、「防衛の恩恵を受けた植民地側も戦費を負担すべきだ」として、砂糖法(1764年)や印紙法(1765年)、茶法(1773年)など、前例のない増税策を相次いで導入したのです。

これに対し、植民地側は激怒しました。イギリスの憲政的伝統であるマグナ・カルタ(大憲章)以来、「議会に代表を送っていない植民地に税を課す権利は本国にない」と反発。「代表なくして課税なし(No taxation without representation)」という抗議スローガンが瞬く間に広がり、1773年には東インド会社の茶箱を海へ投げ捨てる「ボストン茶会事件」へと発展します。

本国政府は軍隊を派遣して強圧的な弾圧を試み、1775年4月、マサチューセッツ州のレキシントンおよびコンコードでついに武力衝突(アメリカ独立戦争の開戦)が勃発しました。当初は「本国の悪政を正し、権利を回復する」ことが目的でしたが、国王ジョージ3世が植民地人を反乱勢力と断定し、外国傭兵(ヘッセン軍)を雇って武力鎮圧を進めたことで、植民地側の心情は決定的に冷え込みます。

1776年1月にトマス・ペインが著したパンフレット『コモン・センス(共通善・常識)』が50万部を超える記録的ベストセラーとなり、「王政の不条理と植民地の完全独立」を明快に説いたことで、世論は一気に独立宣言へと傾斜していきました。大陸軍総司令官に任命されたジョージ・ワシントン(後の初代大統領)のもとで戦いが泥沼化する中、国際社会(特にフランスやスペイン)からの軍事支援を取り付けるためにも、国家としての正式な独立表明が不可避となったのです。

佐々木 一輝
著者

佐々木 一輝

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。