2026年に入り、当時秘書官として間近で支えた元高官らの新たな証言テープが公開された。そこには、1990年の日ソ外交において、末期がんの病状を隠しながらモスクワへ飛び、ゴルバチョフ書記長との首脳会談に臨んだ晋太郎の悲壮な覚悟が記録されている。「死を賭してでも北方領土問題に道筋をつける」という激しい執念は、周囲の反対を押し切っての決断だった。
竹下登との「安竹同盟」を経て、いよいよ首相の座が目前に迫った矢先の病魔。悲願の総理就任を果たせぬまま67歳でこの世を去った彼の最期は、昭和から平成へと移り変わる政治史における最大の未完のドラマとして、いまなお政治アナリストたちの議論を呼び続けている。