全財産を失った百福が目を向けたのは、終戦直後に焼け野原となった大阪・梅田の闇市で目撃した、一杯の温かいラーメンを求めて寒空の下に伸びる異様な行列の光景でした。「食足世平(食足りて世は平らか)」という強烈な信念を抱いた彼は、自宅の裏庭にわずか10平米(約3坪)の粗末な木造研究小屋を自力で建て、開発に着手します。
課した開発目標は極めて過酷な5条件でした。
- 1. おいしく飽きがこないこと
- 2. 保存性に優れていること
- 3. 調理に手間がかからず、お湯を注ぐだけで食べられること
- 4. 廉価であること
- 5. 衛生的で安全であること
睡眠時間は1日4時間未満。製麺機と小麦粉、油まみれの鍋と格闘する日々が1年間続きました。最大の難関は「水分を抜いて長期保存可能にし、熱湯を注げば瞬時に元の食感に戻す」乾燥技術でした。天日干しや熱風乾燥では麺がボロボロになり、復元しません。
突破口を開いたのは、妻・仁子が夕食のために揚げていた天ぷらでした。衣が油の中で激しく泡立ち、水分が抜けて無数の小さな穴(多孔質)ができる様子を目の当たりにした瞬間、直感が閃きます。これこそが後に世界特許となる「瞬間油熱乾燥法」の誕生の瞬間でした。
1958年(昭和33年)8月25日、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」が発売されました。1食35円。当時うどん1杯が6円程度だった時代において決して安価ではありませんでしたが、「お湯を注いで3分」という魔法のような利便性と本格的な鶏ガラスープの美味しさは爆発的な支持を集め、瞬く間に全国へ、そして世界へと波及していきました。