1946年(昭和21年)、舩坂弘はアメリカ本土の収容所を経て日本へ復員しました。故郷の栃木県へ戻ると、実家には自身の位牌が祀られ、戸籍上は「戦死」として処理されていたといいます。奇跡の生還を果たした舩坂でしたが、生き残ったことに対する深い葛藤と戦友への申し訳なさが彼を苛みました。
「戦死した英霊たちの分まで、復興のために生きる」と誓った舩坂は、焼け野原となった東京・渋谷駅前(現在のスクランブル交差点付近)で、わずか一坪のバラック小屋から本屋を始めました。これが現在も渋谷のランドマークとして知られる「大盛堂書店」の創業です。
「これからの日本を立て直すには、武力ではなく国民の知識と教養が必要だ」という強い信念のもと、舩坂は年中無休で書店を営業。日本初となる大型書店ビルを建設し、作家のサイン会を頻繁に開催するなど、革新的なアイデアで大盛堂書店を日本屈指の有名書店へと育て上げました。