競技が行われたのは1998年長野オリンピック。舞台となった白馬ジャンプ競技場は、強烈な地吹雪と濃霧に見舞われ、一時は競技中断を余儀なくされた。もし2回目のジャンプが中止となれば、1回目時点で4位だった日本のメダル獲得は消滅する。その絶体絶命の危機を救ったのが、25人のテストジャンパーたちだった。
国際オリンピック委員会(IOC)の審判団が競技再開を決断するための条件はただ一つ。「吹雪のなかで全員が無事に飛べること」。危険極まりない視界のなか、前回リレハンメル五輪の銀メダリストでありながら代表から漏れた西方仁也をはじめとするテストジャンパーたちが、命を懸けてアプローチを滑り降りた。彼らのノーミスのアプローチが競技再開の扉を開き、日本に金メダルへの道筋をもたらしたのだ。