なぜ板東英二さんは、これほどまでにゆで卵を愛し続けたのでしょうか。その理由を紐解くと、戦中・戦後の過酷を極めた幼少期の原体験に行き着きます。
1940年に満州(現・中国東北部)で生まれた板東さんは、終戦に伴い命からがら日本へ引き揚げてきました。徳島県での生活は困窮を極め、日々の食事すら満足に口にできない極貧の日々を過ごします。そんな飢餓状態のなか、病気で伏せっていた際に父親が苦労して手に入れてくれたのが、1個の「ゆで卵」でした。
当時の卵は現在のような安価な食材ではなく、一般庶民にとっては病気でもしない限り口にできない超高級品でした。つるりとした殻を剥いたときに現れる純白の輝きと、口いっぱいに広がる濃厚な黄身の甘み。板東さんにとってゆで卵は、飢えと寒さから命を救ってくれた「白い宝石」そのものだったのです。「大人になって成功したら、腹いっぱい卵を食べるんだ」という強烈な飢餓感とハングリー精神が、その後の驚異的なゆで卵偏愛の根底に刻み込まれました。