歌舞伎ファンのみならず演劇界全体に大きな衝撃を与えたのが、2009年4月の「演じ納め」の報でした。当時50代後半を迎えていた玉三郎は、技術的にも表現力においても円熟の極みに達しており、客席は連日満員札止めを記録していました。
なぜ、玉三郎は自らの代名詞である『鷺娘』の舞台を封印したのでしょうか。当時のインタビューや手記、舞台関係者への取材から浮かび上がるのは、一切の妥協を許さない「完璧主義の美学」です。
『鷺娘』は、約30分間にわたって一人で踊り続ける極めて過酷な舞踊劇です。舞踏手の肉体にかかる負荷は尋常ではなく、微細な筋力の衰えや息の乱れが、白鷺としての「人外の純粋性」を損なう恐れを孕んでいます。玉三郎は自らの身体感覚に極めて厳格であり、「わずかでも身体のキレが落ち、観客に年齢や重さを意識させてしまう前に、最高の純度を保ったまま手放す」という美の決断を下しました。
また、長年慣れ親しんだ旧歌舞伎座が建て替えのために閉場するタイミング(2010年閉場)とも重なり、昭和から平成の歌舞伎座の記憶とともに『鷺娘』を完結させるという、劇場空間への深い敬意も込められていました。