ミケランジェロ・ブオナローティの生涯と経歴は、ルネサンスの栄光と政治的動乱が複雑に交錯するドラマそのものでした。1475年にトスカーナ地方のカプレーゼで生まれた彼は、幼少期から画房で頭角を現し、フィレンツェの事実上の支配者であったメディチ家当主ロレンツォ・デ・メディチ(豪華王)の目に留まります。
メディチ家の庭園アカデミーで古代彫刻を学び、当代一流の人文主義者たちと議論を交わした経験が、彼の芸術的教養の揺るぎない土台となりました。しかし、ロレンツォの死とフィレンツェ共和国の政変、サヴォナローラの宗教改革など、時代は激動の渦へと突入します。
30代以降は活動の舞台をローマへ移し、強力な権力を持った教皇ユリウス2世からの過酷な注文に応え続けました。同時代を生きたレオナルド・ダ・ヴィンチとのライバル関係や、年下の天才ラファエロへの対抗意識に苦悩しながらも、彼は妥協を許さない孤高の職人として制作に没頭。88歳で息を引き取る数日前まで、未完成の『ロンダニーニのピエタ』に鑿(のみ)を振るい続けたその生涯は、芸術への純粋な殉教でした。