沖縄の伝統墓は、その外観によって主に「亀甲墓(かめこうばか / カーミクーバカ)」と「破風墓(はふばか / ハフバカ)」の2種類に大別されます。それぞれの造形には、琉球の歴史と死生観が色濃く反映されています。
街中や山林で最も多く見かける「亀甲墓」は、17世紀後半に中国(福建省)から伝来したとされ、亀の甲羅のようななだらかな半円形の屋根が特徴です。この形状は単なる動物の模倣ではなく、「女性の子宮・母の胎内」を象徴していると伝えられています。人間は母親の胎内から生まれ、命尽きれば再び母の胎内(墓)へと還っていくという、原初的な母性回帰の宇宙観が石造建築として具現化されたものです。琉球王国時代は厳格な身分制度により士族階級のみに許されていましたが、明治以降の身分制撤廃に伴い庶民の間へ爆発的に普及しました。
一方の「破風墓」は、三角屋根を持つ家型の重厚なデザインが特徴です。首里にある世界遺産「玉陵(たまうどぅん)」に代表されるように、もともとは琉球王家の陵墓として発展した最高格式の様式でした。明治時代に入って平民の建立が解禁されると、コンクリート建築技術の普及とともに「先祖の終の棲家」として人気を集め、現代の新築墓でも主流の選択肢となっています。
しかし、この美しい伝統建築の裏には、父系絶対主義に基づく厳格な規律が存在しました。歴史的に門中墓は「男系男子」を軸に継承されるため、「門中墓に誰が入るのか」を巡る女性の処遇には複雑な制約がありました。他家に嫁いだ女性は嫁ぎ先の墓に入り、生家の墓には入れないのが鉄則とされ、離婚した女性や未婚のまま亡くなった女性の遺骨の行き場が失われる「イナグ墓(女性専用の孤立した墓)」の問題など、現代のジェンダー観からは軋轢を生みやすい構造的課題も内包してきた歴史があります。