関西ローカルの局アナから全国区のトップ司会者へ上り詰めた宮根氏の原点は、1987年に入社した朝日放送(現・朝日放送テレビ/ABC)にあります。入社後、関西の朝の顔である名物番組『おはよう朝日です』の司会に抜擢されると、飾らない人柄と関西弁特有のテンポの良さで瞬く間に絶大な支持を獲得しました。
順風満帆に見えた局アナ人生でしたが、宮根氏は2004年3月末をもって17年間在籍した朝日放送を退社します。当時の退社会見や後年の手記において、宮根氏は「このまま定年まで局に守られて人生を終えることへの恐怖」や「自分の司会スキルが東京や全国の舞台でどこまで通用するのか試したい」という表現で、フリー転身への渇望を吐露していました。安定した高給取りの立場を捨てて挑んだフリーランスへの転身は、昭和から平成のテレビ局員としては極めて覚悟を要する賭けでした。
フリー転身当初はフロム・ファーストプロダクションに所属し、2006年には読売テレビ制作の『情報ライブ ミヤネ屋』が関西ローカルでスタート。これが2008年から日本テレビ系列で全国ネット化されると、視聴率は急上昇し、宮根氏の名は日本全国に轟くことになります。しかし、全国区の看板MCへと成長するにつれ、東京と大阪を往復する過酷なスケジュール管理や、数億円規模に膨れ上がる制作・CM契約を捌くための「より機動的で自らの裁量が利くマネジメント組織」が不可欠となりました。そこで二人三脚で全国制覇を成し遂げたマネージャーの横山氏とともに、満を持して2010年に立ち上げたのがテイクオフだったのです。