瀬戸内寂聴の名言が今も心揺さぶる理由|愛と孤独を救う言葉の真意

瀬戸内寂聴の名言が今も心揺さぶる理由|愛と孤独を救う言葉の真意

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説教臭い言葉や聖人君子のような教条主義が敬遠される時代において、瀬戸内寂聴の言葉が特別な光を放ち続ける最大の要因は、彼女自身の経歴そのものが人間の弱さと過ちを余すところなく内包している点にあります。自らの実体験を覆い隠さず、赤裸々に語り続けた姿勢こそが、言葉に血を通わせているのです。

1922年に徳島で生まれた瀬戸内寂聴(本名:瀬戸内晴美)氏は、東京女子大学を卒業後、見合い結婚と夫の赴任地・北京での生活、そして敗戦による引き揚げを経験しました。しかし戦後、夫の教え子との激しい恋に落ち、幼い愛娘と夫を残して出奔するという、当時の社会的道徳から激しく逸脱する道を選び取ります。その後の作家生活でも、妻帯者である作家との泥沼の不倫関係や筆名での批判、文学界からのバッシングなど、幾重もの愛憎劇と世間の荒波を身一つで潜り抜けてきました。

そうした破滅的な情熱と苦悩の果て、51歳を迎えた1973年、彼女は岩手県平泉の中尊寺で得度し、仏門に入ります。出家の理由と経歴を振り返る際、彼女自身は当時の手記やインタビューで次のように吐露していました。

「男と別れるためでも、世を儚んだためでもありません。このまま生きていては、いつか自分自身の激しい情熱と業によって、自他ともに完全に焼き滅ぼしてしまう。書くことと生きることの業を抱えたまま、命を長らえるためには、仏の道にすがるしか術がなかったのです」

品行方正な高僧が語る上段からの戒律ではなく、「自分も愛に狂い、人を傷つけ、地獄を見た」という痛烈な当事者意識。傷口を晒しながら差し伸べられる手だからこそ、恋愛や人間関係で自責の念に駆られる人々は、彼女の言葉に深い赦しを見出すのです。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。