總持寺は元来、1321年(元亨元年)に瑩山禅師が能登半島・櫛比庄(現在の石川県輪島市門前町)の諸嶽寺を譲り受け、「總持寺」と改名したことに始まります。後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を賜り、北陸の地で570年余りにわたり繁栄を極めました。
転機が訪れたのは明治維新後の1898年(明治31年)4月13日の大火災です。境内の大半を焼き尽くす甚大な被害を受けた際、当時の独住第三世・西有穆山(にしありぼくざん)禅師や石川素童(いしかわそどう)禅師らは、単なる元の場所での再建にとどまらない大胆な構想を打ち出しました。それが「首都圏・横浜への本山移転」という歴史的大英断でした。
移転先に選ばれた横浜鶴見は、東京湾に面し、東海道本線が通る交通の要衝でした。近代化を進める日本において、「全国の信徒が参拝しやすい場所へ移転し、世界へ向けて禅の教えを発信する国際道場を創設する」という戦略的意図がありました。1911年(明治44年)に鶴見への移転遷座式が執り行われ、名実ともに大本山總持寺としての新時代が幕を開けました。
一方、発祥の地である能登の境内は「大本山總持寺祖院(そいん)」として再建され、現在も瑩山禅師の霊跡として大切に護持されています。度重なる震災を経験しながらも、国内外の支援とともに復興と修復が進められており、能登と横浜の絆は今なお固く結ばれています。