言葉が社会に定着するには、それを後押しする社会心理と政治情勢が存在します。「ちゃんころ」という語が日本国内の庶民層にまで爆発的に広がった契機は、1894年に勃発した日清戦争でした。
江戸時代まで、日本にとって中国(漢籍・仏教・儒教の宗主国)は長らく仰ぎ見るべき文化的大国でした。しかし、明治維新を経て欧米近代化を急速に推し進めた日本は、日清戦争での勝利を契機に、アジアの大国に対するコンプレックスを急激な優越感へと反転させます。当時の錦絵や大衆劇、軍歌には、弁髪の清国人を嘲笑し、矮小化して描く風潮が急速に広まりました。
続く日露戦争、そして昭和期の満洲事変や日中戦争(支那事変)へと進むなかで、この言葉は戦地における日本軍兵士のスラングとしても定着していきました。当時の兵士の日記や従軍記者の私的メモを調査すると、「今日もちゃんころの部隊を追撃した」「現地のちゃんころ商人から食糧を調達した」といった記録が散見されます。
ここで重要なのは、当時外務省や公的機関、大新聞が使用していた公称としての「支那人」という呼称と、「ちゃんころ」には明白な位相の差があった点です。「支那」という呼称自体も戦後は侵略の歴史的経緯から差別的含意を持つとして自粛されることになりますが、当時の言論空間において「支那」はあくまで地理的・公的な名称でした。それに対して「ちゃんころ」は、公の文書では使用が憚られる、明確な侮辱・罵倒を目的とした悪口雑言として機能していたのです。