赤塚不二夫や加藤登紀子も…満州引き揚げを生き抜いた有名人の真実

赤塚不二夫や加藤登紀子も…満州引き揚げを生き抜いた有名人の真実

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満州引き揚げの過程で民間人が直面した現実には、筆舌に尽くしがたいものがありました。日ソ中立条約を破棄して侵攻したソ連軍の猛威や、現地暴徒による襲撃が相次ぐ中、生き残るか命を落とすかはまさに紙一重の偶然と選択にかかっていました。

昭和の大スターとして映画界を彩った宝田明は、旧満州のハルビンで終戦を迎えました。当時11歳だった宝田少年は、進駐してきたソ連兵によって腹部を銃撃されます。病院に担ぎ込まれたものの、医療物資が完全に枯渇していたため、麻酔なしで銃弾を摘出する激痛手術を受けました。傷口を消毒する薬すらなく、生きていること自体が奇跡という重傷を負いながらも、母の手厚い看護と自身の強靭な生命力で九死に一生を得ました。宝田が晩年まで強烈な反戦平和への想いを訴え続けた背景には、この時の焼き付くような銃声と肉体の痛みの記憶がありました。

直木賞作家であり希代のヒットメーカーとして知られたなかにし礼の体験もまた、凄惨を極めます。牡丹江で終戦を迎えた当時7歳のなかにし一家は、ソ連軍の戦車や戦闘機からの機銃掃射にさらされながら南下を続けました。避難列車が爆撃を受け、目の前で乗客の肉片が飛び散る地獄絵図を目撃。逃避行の途中では、衰弱した幼子を道連れに自決する親や、置き去りにされる孤児の姿を日常的に目撃したと語っています。このとき刻まれた「人間は極限状態においてどこまで残酷になれるのか」「生きるとはどういうことか」という根源的な問いが、後の『兄弟』や『赤い月』といった傑作小説の骨格となりました。

また、作家の五木寛之も満州から平壌を経て引き揚げる過程で、コレラや発疹チフスが蔓延する収容所生活を経験しています。仲間の遺骸を自らの手で埋め、生き残るために残飯を漁り、命からがら祖国の土を踏んだ経験から、五木文学の基底には常に「生き延びてしまった者の罪悪感と孤独」が深く横たわっています。

林 結菜
著者

林 結菜

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。