松本明子がなぜそこまで無謀な行動に出てしまったのかを紐解くには、当時のアイドル界を取り巻く熾烈な環境と、彼女が抱えていた強い焦燥感を理解する必要があります。
彼女は1982年、名門オーディション番組『スター誕生!』の第44代グランドチャンピオンに輝き、翌1983年に渡辺プロダクションから「♂・♀・Kiss(オス・メス・キス)」で華々しく歌手デビューを果たしました。しかし、同期には桑田靖子、大沢逸美、森尾由美、吹田明日香といった顔ぶれが並び、前年の「花の82年組」(中森明菜、小泉今日子、早見優、堀ちえみら)の圧倒的な大旋風の陰に隠れ、メディアからは「不作の83年組」と揶揄されていました。
当時のインタビューや後年の自著において、松本明子は「同期が次々と歌番組やドラマに起用される中、自分だけが全く売れず、事務所のスタッフからも見放されかけている恐怖があった」と赤裸々に告白しています。香川県から上京し、家族の期待を背負っていた10代の少女にとって、「爪痕を残さなければ明日はない」というプレッシャーは想像を絶するものでした。
大物芸人たちからの「これを言えば絶対に目立てる、売れる」という言葉は、崖っぷちに立たされていた彼女にとって、救いの藁に見えてしまったのです。昭和の深夜番組特有の過激なノリと、若手アイドルの切実な生存本能が最悪の形で結びついた結果が、あの四文字事件でした。