現在の大手前本館に至る大阪府庁舎の歴史は、幕末から近代への激動とともに幕を開けました。1868年(慶応4年)の大阪府設置当初は西天満の寺院に仮庁舎が置かれ、その後、西区江之子島に西洋館スタイルの庁舎が建設されました。経済の急伸とともに手狭になったことから、1926年(昭和元年)に現在の大阪市中央区大手前へと移転新築された経緯があります。
近代建築遺産としても極めて高い価値を誇る大手前本館ですが、2000年代後半には庁舎の存立を揺るがす最大の政治的争点となった「府庁移転問題」が勃発しました。
火の手を上げたのは、2008年に就任した橋下徹知事(当時)です。財政再建とベイエリア活性化を掲げ、大阪市が巨額の負債を抱えて破綻処理した「大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)」を大阪府が買い取り、府庁全面移転を断行する構想をぶち上げました。当時の記者会見や議会論戦で語られた「大手前は城の前に立てこもる古い発想。世界と戦う臨海部へ拠点を移すべきだ」という強烈な言葉は、有権者に大きなインパクトを与えました。
しかし、この野心的な計画は予期せぬ自然の猛威によって頓挫します。2011年3月11日の東日本大震災において、震源から700キロ以上離れた咲洲のWTCビル(現・咲洲庁舎)は長周期地震動に見舞われ、ビル全体が大きく揺れてエレベーターが全基停止。内装材の損傷や防火扉の誤作動が続出し、災害対応拠点としての脆弱性が浮き彫りとなりました。
結果として大阪府議会は全面移転条例案を否決。府政の最高中枢や議会機能は歴史ある大手前本館に残留させ、一般行政事務の一部を咲洲庁舎へ移すという「本館と咲洲の2拠点体制」で決着がつきました。政治主導の急速な移転論争と、防災上のリスク管理という現実的判断が激しく衝突したこの顛末は、現代日本の都市計画史における教訓的な事例として今なお語り継がれています。