大分県中津市を流れる山国川の渓谷沿い、競秀峰の断崖絶壁に位置する青の洞門。この地にかつて存在したのは、「鎖渡し(くさりわたし)」と呼ばれる命がけの難所でした。旅人や牛馬が鎖一本を頼りに断崖絶壁をよじ登り、足を滑らせて激流へと転落死する事故が後を絶ちませんでした。
享保年間(1730年代初頭)、諸国行脚の途中でこの惨状を目の当たりにした越後出身の禅僧・禅海和尚は、「ここに安全な洞道を掘り通せば、尊い人命を救うことができる」と一念発起。江戸幕府や藩の援助もない中、自ら托鉢で資金を集め、1735年(享保20年)頃から石工を雇いながら手彫りでの開削に着手しました。全長約342メートル(うち隧道部分約144メートル)に及ぶ硬い凝灰岩の岩盤を、鑿と槌だけで掘り進める作業は想像を絶する苦難の連続であり、最終的な貫通まで約30年という途方もない歳月が費やされました。
文豪・菊池寛の名作小説『恩讐の彼方に』では、かつて主君を殺めた罪を悔い、贖罪のために洞門を掘り続ける「了海」として描かれ、仇討ちに現れた若者と力を合わせて貫通させる感動的な物語として広く定着しました。しかし近年の歴史研究や地元資料によると、禅海和尚が過去に主君殺害などの大罪を犯した記録はなく、純粋な慈悲心と利他精神に基づいた一大社会インフラ事業であったことが判明しています。