大谷翔平の高校時代は何が規格外だったのか?160キロ伝説と育成秘話

大谷翔平の高校時代は何が規格外だったのか?160キロ伝説と育成秘話

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大谷翔平選手の高校時代を語る上で外せない最大のハイライトが、2012年7月19日、岩手県営野球場で行われた全国高校野球選手権岩手大会の準決勝(一関学院戦)です。6回裏、スコアボードの球速表示に「160」の数字が刻まれた瞬間、球場全体が異様な静寂とどよめきに包まれました。

当時のアマチュア野球界において「高校生の160km/h到達」は夢物語とされていましたが、大谷選手はその常識を覆しました。テレビ中継のスピードガンや各球団スカウトの計測機器も軒並み159〜160km/hを記録。単なる偶然の一投ではなく、確固たるフィジカル強化とフォーム改造の賜物であったことが専門家の分析でも明らかになっています。

一方で、大谷翔平の高校時代成績や甲子園出場歴を振り返ると、決して順風満帆な栄光ばかりではありませんでした。

  • 2年夏(2011年選手権):初戦の帝京高校戦でリリーフ登板し最速150km/hをマークするも、骨端線損傷(成長痛に伴う骨のトラブル)の影響で万全ではなく、チームは初戦敗退。
  • 3年春(2012年センバツ):初戦で藤浪晋太郎投手を擁する大阪桐蔭高校と激突。大谷選手自ら本塁打を放つも、投手としては9回を投げ9失点(自責点7)を喫し敗退。
  • 3年夏(2012年岩手大会):決勝の盛岡大附戦で左翼ポール際への際どい本塁打を浴びるなど、3対5で惜敗。甲子園の切符を逃す結果に。

投手としての通算投球回や勝利数以上に際立っていたのが打者としての資質です。高校通算本塁打は56本。逆方向へ軽々と放り込む天性の長打力とスイングスピードは、当時からメジャースカウト陣の間で「打者専念でもメジャーの一流になれる」と極めて高い評価を得ていました。甲子園での悔しさと圧倒的な身体能力のギャップこそが、その後の爆発的な成長の起爆剤となったのです。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。