大和国で圧倒的な権威を誇っていた武甕槌命と経津主命の二柱は、一体どのような経緯で太平洋や利根川下流域を臨む東国へと「遷座」したのか。そこには古代中央政権による高度な地政学的・政治的計算が存在した。
7世紀から8世紀にかけ、大和王権にとって東国の治安維持と東北地方への勢力伸長は国家の命運を分ける最優先課題だった。大和の「本宮」で培われた最強の軍神エネルギーを、蝦夷との境界線にあたる関東の要衝へ移祀・鎮座させることで、物理的な軍事拠点と精神的な防波堤を同時に構築したのだ。後に藤原氏(中臣氏)が自らの氏神として鹿島・香取の二神を格付けし、平安京の春日大社へと勧請し直した歴史的経緯も、大和の元宮を起点とする壮大な宗教ネットワークの一環として鮮やかに辻褄が合う。