大化の改新で何が変わったのか?蘇我氏滅亡と古代国家誕生の真相

大化の改新で何が変わったのか?蘇我氏滅亡と古代国家誕生の真相

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初夏の飛鳥板蓋宮。三韓(朝鮮半島の新羅・百済・高句麗)からの使節を迎える儀式の最中、白昼堂々たるテロリズムが決行された。首謀者は、皇位継承権を持つ中大兄皇子(天智天皇)と、神祇を司る中臣氏の出である中臣鎌足(藤原鎌足)の二人。標的となったのは、当時の朝廷で絶大な権勢を誇っていた蘇我入鹿だった。

宮殿の門が閉ざされ、剣を抜いた刺客が入鹿へ斬りかかる。太子の放った一撃が入鹿の肩口を割り、宮廷の床は鮮血に染まった。翌日には父の蘇我蝦夷が自邸に火を放って自害。強大な権力を誇った蘇我本宗家は、わずか二日間で歴史の表舞台から完全に姿を消した。この軍事クーデターこそが、のちに「乙巳の変」と呼ばれる大事件である。

だが、この暗殺劇を単なる権力欲の衝突と捉えるのは早計だ。当時、唐(中国)が強大な帝国として東アジア全域に覇権を広げ、朝鮮諸国へ圧力を強めていた。日本が独立を保つには、豪族の合議制に頼る緩やかな体制を捨て、強力なトップダウンで軍事と財政を束ねる中央集権機構を急造する必要があった。暗殺という非常手段の背景には、外圧に直面した古代国家の切迫した危機感があったのである。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。