大鳴門橋の新幹線はなぜ幻に?線路スペースの謎と2026年最新動向

大鳴門橋の新幹線はなぜ幻に?線路スペースの謎と2026年最新動向

大鳴門橋の新幹線はなぜ幻に?線路スペースの謎と2026年最新動向とはどのようなものなのか? 専門的な分析を丁寧に紐解いて紹介します。

大鳴門橋の建設が始まったのは1976年のことです。その土台となったのは、1973年に田中角栄内閣が策定した四国新幹線基本計画でした。この構想では、大阪から神戸、淡路島を経由して徳島に至り、そこから高松、松山、大分へと抜ける壮大な四国新幹線淡路島ルートが描かれていました。

当時の本州四国連絡橋公団(現・本州四国連絡高速道路)は、将来の新幹線運行を見据え、桁下層に複線の新幹線、あるいは在来線4線を敷設できる大鳴門橋の新幹線用構造(2層式トラス橋)を採用しました。橋梁自体の重量増や耐震・耐風強度の確保に伴い、当時の試算でも約30%以上の追加建設コストが鉄道スペース確保のために投じられています。

しかし、橋が完成を迎えた1985年、事態は暗転します。国鉄の累積赤字が社会問題化し、財政再建を急ぐ政府は本四連絡橋計画の抜本的な見直しを断行しました。その結果、本州側の玄関口となる明石海峡大橋の新幹線断念理由として、建設費用の大幅圧縮と技術的難易度が挙げられ、道路単独橋への計画変更が決定されたのです。本州からの鉄路が物理的に途絶えたことで、大鳴門橋の線路スペースは「出口を失った巨大な空洞」として取り残されることになりました。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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