強大無比を誇った大蔵省と大蔵大臣が解体へ追い込まれた最大の理由は、「財政と金融の癒着」による重大なガバナンス不全でした。その決定的な契機となったのが、1990年代後半に相次いで発覚した深刻な経済危機と前代未聞の不祥事です。
バブル崩壊後、住専(住宅金融専門会社)問題をはじめとする不良債権処理が極度に遅れ、山一證券や北海道拓殖銀行が相次いで経営破綻に追い込まれました。当時、大蔵省は「護送船団方式」と呼ばれる過保護な金融行政を敷いており、一行たりとも銀行を潰さない建前を維持しようとした結果、国民負担を天文学的に膨らませる失政を招いたのです。
さらに国民の怒りに火をつけたのが、1998年に東京地検特捜部の家宅捜索で白日の下に晒された「大蔵省接待汚職事件」でした。金融機関の幹部が大蔵省官僚に対し、過剰な飲食接待やいわゆる「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待を繰り返し、見返りとして金融検査の立ち入り情報や内部情報を事前に漏洩させていた実態が発覚。現職キャリア官僚の逮捕や幹部の自殺という異常事態に発展し、国民の信頼は完全に失墜しました。
「予算というカネを配る権限」と「民間銀行を監視する権限」が同一組織にあるため、天下り先の確保や癒着が構造化している――。こうした国民的批判と政治的圧力のなか、橋本龍太郎内閣が進めた行政改革の柱として中央省庁再編の基本法が成立。1998年6月にまず金融監督庁(現在の金融庁)が総理府の外局として独立し、金融行政の分離(財金分離)が実行されました。そして2001年(平成13年)1月6日、中央省庁再編の本格施行とともに大蔵省は正式に廃止され、大蔵大臣の名称も歴史の闇へと消え去ったのです。