ダンチョネ節の歴史を語る上で避けて通れないのが、太平洋戦争期におけるダンチョネ 軍歌 特攻隊の歴史です。昭和初期の軍隊内において、故郷を遠く離れた兵士たちの間でダンチョネ節の替え歌が自然発生的に流行しました。
特に第二次世界大戦末期、出撃を目前に控えた海軍航空隊の特攻隊員や学徒出陣の若者たちは、検閲を受ける手紙には書けない本音や死生観をダンチョネ節のメロディに託しました。「明日は出撃 命の限り」「散るも桜よ 咲くのも桜 ダンチョネ」といった痛切な替え歌は、兵舎の片隅や出撃前夜の盃の場で密かに歌い継がれたと多くの遺稿や回徒手記に記録されています。
戦前の遊郭や酒場で生まれた俗曲が、過酷な極限状態における「生への執着」と「無念の別れ」を昇華させる鎮魂歌へと姿を変えた事実は、日本近現代史における特筆すべき文化的現象といえます。