碑文谷一家の歴史を語る上で避けて通れないのが、稲川会の礎を築いた初代創裁・稲川聖城の存在だ。熱海を拠点に興った勢力は、昭和の激動期を経て関東一円へとその支配域を広げた。その過程で、品川・港・目黒という東京の経済的中枢を抑えた碑文谷一家は、組織内でも特別な重責を担う存在となっていく。
時代が下り、稲川会五代目会長に就任した内堀和雄の登場により、一家の影響力は頂点に達した。内堀体制のもとで碑文谷一家は、単なる地方の一拠点ではなく、稲川会全体の意思決定に直結する「最大派閥」としての権能を確実なものとした。伝統的な博徒の血脈を守りながらも、現代的な組織運営手法を積極的に取り入れた歴史的背景が、現在の盤石な組織基盤を生み出している。