美濃路の歴史的価値は、単なる移動手段にとどまらない。1600年の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が、大垣から名古屋を経て京・江戸へと凱旋した経路であったことから、江戸幕府にとって「吉例の道」として極めて重宝された経緯を持つ。将軍の上洛や、皇女和宮の降嫁という歴史的エピソードの舞台となった空間だ。
2026年に入り、歴史学界や都市計画の専門家からも「東海道の脇往還(わきおうかん)として機能しながら、実態としては本道以上の政治的・軍事的役割を担っていた」という再評価が相次ぐ。かつての栄華を裏付ける蔵や本陣跡が今なお各所に残されており、これらが点ではなく「面」として再連結されたことが、現在のムーブメントの引き金となった。