長年、日本史の教科書やテレビ番組で「三方ヶ原の戦いで武田信玄に惨敗した家康が、慢心を戒めるために自らの無様な姿を描かせた」と解説されてきた『しかみ像』。しかし、近年の歴史研究および所蔵元である徳川美術館などの調査により、この美談は江戸時代中期以降に形成された創作である可能性が決定的な事実として定着しました。
史料調査の経緯解説によると、この肖像画が「三方ヶ原の敗戦を描いたもの」と記された最古の記録は、江戸中期の尾張徳川家附家老・成瀬家に伝わる文書であり、戦国期当時に描かれたという同時代史料は一切存在しません。近年の美術史研究では、画面の図像学的特徴や描法から、本来は神格化された家康(東照大権現)を別の文脈で表現した仏教的図像の系譜に連なる作品であるという説が有力視されています。
この事実が広く報道された際、SNSやネット掲示板では「学校で習ったドラマチックな逸話が嘘だったのか」「人間味があって好きなエピソードだっただけにショック」といった困惑の声が広がりました。一方で、「神格化のプロパガンダとして後世に物語が盛られていく過程こそが歴史の醍醐味」「神輿として担がれる家康像のリアルな変遷が分かって興味深い」といった知的好奇心に満ちた反応も多数見られ、炎上というよりも建設的な歴史談義へと発展しています。