東大隣接の根津遊郭はなぜ消えた?洲崎移転の真相と街に残る痕跡

東大隣接の根津遊郭はなぜ消えた?洲崎移転の真相と街に残る痕跡

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官許の遊郭として絶頂期を迎えていた根津遊郭ですが、その繁栄は突如として終焉へ向かいます。最大の引き金となったのが、すぐ目と鼻の先である本郷・加賀藩屋敷跡地に誕生した東京大学(現・東京大学本郷キャンパス)の存在でした。

明治10(1877)年に東京大学が創設されると、本郷台地の上には全国から選び抜かれたエリート学生や官僚の卵が集まりました。しかし、キャンパス裏の坂道を下りれば、そこは甘美な誘惑が渦巻く根津八重垣町です。講義を抜け出して遊郭へ通い詰める書生(学生)が後を絶たず、学業の放棄や金銭トラブル、梅毒などの性病蔓延が大学内外で深刻な社会問題へと発展しました。

この事態を重く見た明治政府の初代文部大臣・森有礼や大学関係者は、「国家の屋台骨を担う最高学府の至近に大規模な風俗街が存在することは、教育上・風紀上極めて有害である」として、内務省および警視庁に対して遊郭の立ち退き・移転を強力に働きかけました。

地元の妓楼経営者たちによる猛烈な反対運動や陳情が繰り広げられたものの、近代国家としての体面と高等教育環境の浄化を急ぐ政府の決定は覆りませんでした。明治21(1888)年に正式な移転命令が下され、明治23(1890)年9月をもって根津遊郭は完全閉鎖という幕引きを迎えたのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。