1969年1月18日から19日にかけて繰り広げられた東大安田講堂攻防戦は、日本の学生運動史上、最大規模の市街戦的衝突となりました。
大学の正常化を目指す加藤一郎総長代行は警察力の導入を正式に要請。警視庁は全国から精鋭の機動隊員約8,500人を東大本郷キャンパスへ投入しました。安田講堂内に立てこもった学生側は、鉄扉を溶接し、バリケードを何重にも構築。屋上から投石器や火炎瓶、塩酸・硫酸瓶を投擲して頑強に抵抗しました。
機動隊は催涙ガス弾を撃ち込み、放水車から高圧放水を行って建物を階下から一層ずつ制圧していきました。氷点下近い寒風の中、催涙ガスと煤煙が立ち込める安田講堂は戦場さながらの様相を呈し、その様子はテレビ各局で全国に生中継されました。日本中が息を呑んで見守る中、1月19日午後5時46分、屋上の学生が制圧され、安田講堂は完全に落城しました。
講堂内のアジトから流された最後の落城放送「我々の闘いは敗れたのではない。これから始まるのだ」という叫びは、参加した学生たちの胸に深く刻まれました。しかし、この敗北によって東大における全共闘の実力闘争は決定的な打撃を受けました。翌1月20日には1969年度の東大入試中止が正式決定され、運動はキャンパスの物理的支配力を失って四分五裂していきます。