1925年8月、放哉は終焉の地となる香川県・小豆島の南郷庵に庵主として入ります。島民の好意によって庵での生活が整えられたものの、放哉の身体はすでに末期の結核に蝕まれていました。
南郷庵での約8ヶ月間、放哉は激しい喀血と高熱に苦しみながら、狂気配を帯びた集中力で約3,000句もの作品を乱れ撃つように生み出しました。床に臥せり、起き上がることすらままならない中で詠まれたのが、次の名句たちです。
- 「足のうら洗へば白くなる」
- 「墓のうらに回る」
- 「入れものがない両手でうける」
1926年(大正15年)4月7日、放哉はわずか41歳の若さで息を引き取りました。死因は喉頭結核および湿性肋膜炎。近隣の島民に看取られながらの寂しい最期でした。
没後、師である荻原井泉水の手によって編纂された遺句集『大空』には、南郷庵で命を削って詠まれた珠玉の句が収録されています。大空のように何一つ遮るもののない純粋な無の境地に達した放哉の句集は、今なお自由律俳句の最高峰として読み継がれています。