東海村Jco臨界事故の真相と原因|被曝治療記録と現在の教訓を総括

東海村Jco臨界事故の真相と原因|被曝治療記録と現在の教訓を総括

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臨界が発生した沈殿槽の直近で作業を行っていた大内久さん(当時35歳)、篠原理人さん(当時40歳)、そして少し離れた事務机にいた作業責任者の横川豊さん(当時54歳)の3名は、直ちに放射線医学総合研究所(放医研)へ緊急搬送されました。

特に沈殿槽に漏斗を差し込み、間近で溶液を注ぎ込んでいた大内さんの被曝線量は16〜23 GyEq(グレイ当量)と推定され、これは人間の致死量を大幅に超える数値でした。東京大学医学部附属病院に転院した大内さんの骨髄細胞を検査した医療陣は、顕微鏡を覗いて戦慄することになります。被曝によって細胞の設計図である23対46本の染色体がバラバラに粉砕されており、新しい細胞を生成する能力が完全に失われていたのです。

NHKスペシャル取材班の記録や手記によれば、入院当初は意識も明瞭で医師と会話を交わしていた大内さんでしたが、日を追うごとに細胞分裂の停止による影響が全身に現れました。白血球がゼロ近くまで激減し、皮膚が剥がれ落ちて再生しなくなり、消化管からの大量出血と体液の漏出が続きました。医療チームは妹からの造血幹細胞移植、皮膚移植、連日の大量輸血など当時の最新医療技術を結集して83日間に及ぶ治療を続けましたが、多臓器不全により1999年12月21日に息を引き取りました。

また、大内さんの手前で溶液をバケツから注いでいた篠原さんも約6〜10 GyEqの大量被曝を負い、東京大学医科学研究所附属病院で臍帯血移植などの先端治療を受け、一時的に皮膚の再生が見られる局面もありましたが、211日後の2000年4月27日に急性呼吸不全等により亡くなりました。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。