晩年の立川談志を襲ったのは、過酷な病魔との闘いでした。死因の真相は「喉頭がん(喉頭腫瘍)に起因する呼吸不全」です。1997年に喉頭がんが判明して以降、放射線治療を受けながら高座に立ち続けましたが、2008年にがんが再発。2011年3月には呼吸困難に陥り、気管切開手術を受けることとなりました。
声帯を温存する治療を模索し続けたものの、気管切開によって落語家の命である「声」を失うという過酷な現実を突きつけられます。それでも談志の闘志は衰えず、筆談用のノートを常に手元に置き、家族や弟子に対して鋭い指摘やユーモアを交えたメッセージを書き殴り続けました。最期まで「もう一度高座へ上がる」という気迫を失うことはありませんでした。
2011年11月21日、家族に見守られながら75歳で永眠。長年寄り添った妻の則子さんや、マネジメントを一手に引き受けていた長女の松岡弓子氏をはじめとする家族の支えは、気難しい天才が晩年まで創作意欲を保ち続けられた最大の防波堤でした。遺言として「葬式は出すな、戒名はいらない」と言い残したと伝えられ、墓石には自らの筆による「立川談志」の文字だけが刻まれています。