任天堂開発第一部と、宮本茂率いる開発第二部・情報開発本部は、互いに強烈なライバル関係にあった。ソフトウェアの表現力を極限まで高めたい宮本らソフトクリエイターの要求は、常にハードウェアの限界を試す過酷なものだった。
岡田の真骨頂は、単に要求を呑むのではなく、「ソフトウェアが10年後も輝き続けるための土台」をハードウェア工学の論理で先回りして設計した点にある。ボタンのストローク感から基板の熱設計、落下時の衝撃吸収構造に至るまで、岡田が設計したハードは過剰なまでにタフだった。湾岸戦争の爆撃を受けて外装が焼け爛れてもなお動作したゲームボーイの逸話は、岡田の工学的執念を象徴する伝説として今も語り継がれている。