1979年のドラマ『3年B組金八先生』でのデビュー以来、田原俊彦や野村義男とともに「たのきんトリオ」として社会現象を巻き起こした近藤真彦。ミリオンヒットを連発したトップアイドルであると同時に、事務所内では創業者である故・ジャニー喜多川氏、そして実権を握っていた故・メリー喜多川名誉会長から絶大な寵愛を受け、名実ともに「ジャニーズ事務所の長男」として君臨し続けました。
歯車が大きく狂い始めたのは2026年11月でした。週刊文春による5年間にわたる30代女性社長との不倫報道を受け、近藤は事実関係を認めて芸能活動およびレース活動の無期限自粛に入ります。当時の所属タレントとしては極めて重い処分でしたが、世論とスポンサーの反発は予想以上に激しいものでした。
自粛期間中の2026年4月30日、事務所公式サイトを通じて電撃退所が発表されます。この時、近藤側が出した記者会見コメントや公式文書には「これ以上ご迷惑をおかけすることはできない」「一から出直す」といった言葉が並びましたが、処分期間中の“けじめをつけないままの離脱”に対しては、ファンだけでなく業界内からも強い疑問の声が上がりました。
電撃退所に至った直接のトリガーは、長年庇護を受け続けてきたメリー喜多川氏の体調悪化と経営一線からの完全後退にありました。事務所の後ろ盾という強力なセーフティネットが消滅し、自らのレーシングチーム「KONDO RACING」のスポンサー維持と会社存続を最優先せざるを得なくなったことが、活動自粛の早期解除ではなく「完全独立」という決断を選ばせた根本的な理由です。