華麗な家系図の中心に座る宮澤喜一自身の足跡も、戦後日本政治史において極めて特異な輝きを放っています。
1919年に生まれた喜一は、旧制武蔵高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業し、大蔵省に入省。終戦直後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)との折衝において、卓越した語学力と論理的思考で頭角を現しました。池田勇人元首相の側近として「所得倍増計画」の立案に深く関わり、自民党内の名門派閥である「宏池会」の領袖として長年政策論争をリードします。
1991年(平成3年)11月、第78代内閣総理大臣に就任。在任中には「PKO協力法(国際平和協力法)」を成立させて自衛隊の海外派遣に道を開いたほか、バブル崩壊直後の激動期において公的資金投入による金融早期健全化を模索しました。首相退任後も、小渕内閣・森内閣で異例の大蔵大臣再登板を果たし、「平成の金融危機」収束に全力を注ぎました。卓越した知性とリアリズムに裏打ちされたその政治姿勢は、現代の政策論議においても高く評価されています。