日本における五輪招致の歩みは、決して平坦なものではありませんでした。もともと1940年に開催が決定していたものの、日中戦争の激化により開催権を返上せざるを得なかった「幻の東京五輪」という痛恨の過去が存在します。敗戦の灰燼の中から立ち上がった日本にとって、五輪の再招致は国際社会への完全復帰を果たすための国家プロジェクトでした。
東京都や日本オリンピック委員会(JOC)による精力的な外交努力が実を結び、1959年5月のIOC総会で第18回夏季オリンピックの開催地が東京に決定しました。これは欧米以外、そしてアジア地域で初めて開催される記念碑的な大会となったのです。
大会日程が1964年10月10日から10月24日に設定された背景には、徹底的な気象データの分析がありました。初秋の東京は台風や秋雨前線の影響を受けやすいため、過去数十年分の気象統計を調査した結果、統計的に最も晴天率が高かった特異日として10月10日が開会式当日に選ばれました。その目論見は見事に的中し、開会式当日は息をのむような秋晴れの青空が国立競技場の上に広がりました。
そして開会式のハイライトである聖火リレーの最終ランナーを務めたのが、当時早稲田大学競走部に所属していた坂井義則氏です。1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下されたその日に広島県で生を受けた青年が聖火台へと駆け上がる姿は、戦争の悲劇を乗り越えた「平和の誓いと復興の象徴」として世界中のメディアで大きく報じられました。