実父の死後、母親は幼い橋下氏と妹を連れて大阪へ移住しました。吹田市を経て、小学生の頃から暮らしたのが大阪府羽曳野市の府営住宅です。
当時の暮らしは決して裕福ではなく、母親は昼夜を問わず働き詰めでした。家計が苦しい母子家庭でありながら、母親は我が子の教育に対して並々ならぬ熱意を注ぎました。「どんなに貧しくても、勉強だけはしなさい」「人の物を盗むな、嘘をつくな」という厳格な倫理観と教育方針を徹底して叩き込まれたと、橋下氏は述懐しています。
食事の準備や生活の工面に追われながらも、子どもの将来の選択肢を狭めまいと必死に働いた母親の背中が、橋下氏の強烈なハングリー精神と勉強へのモチベーションを生み出しました。