安重根はなぜ伊藤博文を撃ったのか?15の罪状と日韓評価の深層

安重根はなぜ伊藤博文を撃ったのか?15の罪状と日韓評価の深層

安重根はなぜ伊藤博文を撃ったのか?15の罪状と日韓評価の深層の疑問点について、専門知識を基に徹底解説します。

外務省外交史料館や当時の法廷記録(『安重根尋問調書』)によると、安重根は取り調べの段階から取り乱すことなく、自らの行為を「私的な殺人ではなく、大韓義軍参謀中将として祖国の敵を討った軍事作戦(交戦規程に基づく処刑)」であると堂々と主張しました。その際、安重根が法廷で淀みなく述べ立てたのが、いわゆる「伊藤博文 15か条の罪状」です。

この15項目には、以下のような内容が克明に記録されています。

  • 大韓帝国の明成皇后(閔妃)を殺害した罪
  • 大韓帝国皇帝(高宗)を強制的に廃位させた罪
  • 乙巳保護条約および丁未条約を強制的に締結させ、主権を奪った罪
  • 罪なき大韓の良民を多数虐殺した罪
  • 軍隊を強制的に解散させた罪
  • 鉄道や鉱山、山林を無断で奪った罪
  • 日本の第一銀行券を強制通用させ、経済を破綻させた罪
  • 大韓帝国の教育を妨害した罪
  • 大韓帝国の教科書を没収・焼却した罪
  • 「韓国は日本が保護しなければならない」と世界を欺いた罪
  • 東洋の平和を根本から破壊した罪

歴史学的な検証において極めて重要なのは、安重根が挙げた罪状の中には、客観的史実と食い違う部分が存在することです。例えば閔妃暗殺事件(1895年)当時の総理大臣は伊藤博文でしたが、現地で実行を画策したのは三浦梧楼公使らであり、伊藤本人が直接指示を出した証拠はありません。さらに最大の歴史的皮肉は、伊藤博文自身は日本政府内において「急進的な韓国併合に反対していた慎重派・漸進派」の領袖だったという点です。

伊藤は韓国の自治能力を育てつつ保護国として留める政策を志向しており、山県有朋や桂太郎ら陸軍を中心とする「即時併合派」を抑える防波堤の役割を果たしていました。しかし、主権を奪われつつあった大韓帝国の民衆や安重根の目には、保護統治の最高責任者である統監・伊藤博文こそが「侵略の象徴であり、最大の元凶」と映っていたのです。暗殺の動機の根底には、日韓両国の政治力学の深い断絶がありました。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。