二・二六事件とは?昭和史最大のクーデターの真相をわかりやすく解説

二・二六事件とは?昭和史最大のクーデターの真相をわかりやすく解説

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下士官兵が投降し、孤立無援となった将校らの反乱は、開始からわずか4日目の2月29日午後、完全に鎮圧されました。首謀者の野中四郎大尉は陸相官邸で自決、安藤輝三太尉も拳銃自殺を図りましたが一命を取り留め、生き残った将校たちは憲兵隊に拘束されました。

反乱終息後に待っていたのは、徹底的な秘密裁判でした。設置された「特設軍法会議」は、非公開・一審制・弁護人なしという近代司法を無視した暗黒裁判でした。法廷で将校らが自らの思想や軍上層部の関与を語ることを恐れた陸軍指導部が、迅速に幕引きを図ったためです。判決は極めて迅速かつ苛烈を極め、首謀者の青年将校17名に加え、思想的指導者とみなされた北一輝、西田税らを含む計19名に死刑(銃殺刑)が言い渡されました。

ここで歴史ファンの間で議論が分かれるのが、「北一輝は本当に事件の黒幕だったのか?」という点です。戦後の研究や裁判資料の検証によれば、北一輝は将校らから資金提供の相談を受け、決起の連絡を受けていたものの、具体的な襲撃計画の立案や指揮には一切関与していませんでした。北自身も決起には時期尚早として慎重姿勢を崩していなかったことが判明しています。しかし陸軍上層部は、危険な国家社会主義思想を軍内に蔓延させた主犯格として北を断罪し、みせしめとして処刑台へと送ったのです。

この事件の最大の皮肉は、反乱を起こした皇道派が壊滅した結果、皮肉にも彼らが最も憎んでいた統制派(東條英機ら)が軍内の権力を一手に掌握したことです。「軍部を抑えるには軍の言い分を聞くしかない」という空気が政界を支配し、現役の軍人しか大臣になれない「軍部大臣現役武官制」が復活。政党内閣の機能は完全に失われ、日本は日中戦争から太平洋戦争へと破滅の道を突き進むことになりました。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。