当時の一次史料や日記を精査すると、法具の破棄や寺院解体が単なる行政手続きではなく、一種の熱狂的な集団心理のもとで進行した様子が克明に描かれています。
『神仏分離史料』や各地の町名主の日記によると、寺院から引きずり出された数百年物の金銅仏や木彫仏は、道端に打ち捨てられて子どもの玩具にされ、あるいは首を切り落とされて石垣の基礎石や敷石として踏みつけられました。「昨日まで額づいて拝んでいた仏像に、人々が唾を吐きかけ、斧を振り下ろす光景はまさに狂気そのものであった」と記す手記も残されています。
さらに、美術的価値の高い仏具や絵画、経典が海外へ流出する引き金にもなりました。寺院が困窮して手放した貴重な仏像や曼荼羅が、古物商の手を経て驚くほどの安値で欧米の収集家や美術館に買い叩かれたのです。後見人として来日した哲学者アーネスト・フェノロサや岡倉天心が目撃したのは、ゴミ屑同然に扱われ、蔵の隅で朽ち果てかけていた法隆寺や法華寺の至宝たちでした。