日本のボブスレー史を語る上で避けて通れないのが、東京都大田区の町工場群が中心となって立ち上げた「下町ボブスレーネットワークプロジェクト」を巡る騒動です。町工場の高度な金属加工技術を結集し、世界に挑戦する美談として国内外で絶大なメディア露出を果たしたものの、2018年平昌五輪直前に起きた下町ボブスレーのジャマイカ代表不採用問題は、スポーツ界と産業界に大きな波紋を広げました。
事態の経緯と真相を紐解くと、日本代表チームがテスト走行の結果を経て下町ボブスレーではなく海外製(ドイツ・FES社やラトビア・BTC社製)の採用を決めた後、プロジェクト側はジャマイカ女子代表チームと機体使用契約を締結しました。しかし、平昌五輪開幕のわずか数日前、ジャマイカ側が突如として下町ボブスレーの機体を使用せず、ライバルであるラトビア製のソリに乗り換えることを表明したのです。
プロジェクト側は契約不履行と機体性能の正当性を訴えて損害賠償を求める法的措置に踏み切り、最終的には和解等の法的決着を迎えました。しかし、現場のパイロットが求めていた「高速域でのしなやかなシャーシのねじれ剛性」や「氷質への追従性」といった極限のフィーリングと、精密な図面通りに高剛性で仕上げる町工場のモノづくり哲学との間に、埋め難い認識のズレがあったことは否めません。クラフトマンシップの挑戦という光の裏で、トップアスリートの命を預かるレーシングマシン開発の難しさを浮き彫りにした出来事でした。