本来、風そのものに香りがあるわけではない。それにもかかわらず、目に見えない風を「薫る」と捉えた先人たちの感性には目を見張るものがある。この表現のルーツをたどると、平安から鎌倉期にかけて編纂された『新古今和歌集』などの中世文学に行き着く。当時は橘(たちばな)や梅の花の香りを運ぶ風を指していたが、時代が下るにつれて青葉や若葉の放つ青い香気を運ぶ爽快な風そのものを指す言葉へと進化した。
この感覚を決定づけたのが、江戸時代を代表する俳諧師・松尾芭蕉をはじめとする俳人たちだ。芭蕉は旅路の中で自然の微細な変化を鋭敏に捉え、風景の質感とともに風の肌触りを句の中に定着させた。『歳時記・季語』の世界において「風薫る(薫風)」は初夏の代名詞となり、視覚と嗅覚、触覚が重なり合う高度な共感覚の表現として確立された経緯がある。